0 コメント

放送と通信の違いの誤解

水曜日, 2月 13, 2013
今、2月10日に行なわれたエンジン01文化戦略会議「オープンカレッジin浜松」をニコニコ動画で観ながら本稿を書いている。休日がないから空き時間で観られるニコ生タイムシフトは嬉しい。安物のスプマンテを飲んでから執筆しているので散文なのは勘弁して頂きたい。

以下敬称略で書く。


内容は夏野剛、茂木健一郎、秋尾沙戸子、黒岩祐治...後おまけで上杉隆が出演していてでメディアの現状とこれからを語る番組なのだが、黒岩(現.神奈川県知事)の語るメディアについての議論が古い。これが未だにテレビ業界が持っている認識なのだろうと思うと落胆する。例えばテレビ局が持つ番組の製作能力がネットメディアに比べ相対的に高いという話。これはテレビ局の能力が高い訳ではなくその下請け、孫請け業者のコンテンツ制作能力が高いというだけの話である。

問題はテレビ局の社員の10分の1の収入で働いているという超格差社会の構図にある。なぜそんな所で働くのかというと製作したものを放送で多くの人に届けるというある種のやりがい搾取の構造があるからなのだが、その「やりがい」があれば金が貰えなくても良いのか問題はまた別の機会にでもするとしよう。

放送と通信の融合が実現してない日本では認識しにくいかもしれないが、そういった歪な構造の割を食ってる下請け業者にとっては、通信との融合で裾野が広がるというメリットしか実はない。放送側にこびへつらうこともなくコンテンツの内容次第で収入も上がるであろう。その分テレビ局側の取り分(利益)はなくなる訳だ。

さらに黒岩は「1980年代になってFAXの登場で新聞はなくなると言われていたが新聞はなくならなかった。だからテレビもネットの登場でなくなることはないという認識だ。」...と言う。

誰もテレビがなくなること自体を目的にしている人はいない。多様化した社会にその選択肢が少ないのが問題であり、放送と通信が融合してないのが問題なのだ。このように通信側を仮想的にして展開しても未来はないのだ。最近のニュースで英BBCがテレビで放送する前にネットでコンテンツの配信するという動きもあるなか、あまりに古いことを平気で言っている黒岩のような人々がテレビ局の中枢にいるとすれば日本のメディアの未来は暗い。

しかし、これは余談だけど、この番組を観て面白いと感じたのが、茂木健一郎がずっと立ったままウロウロしたまま話たり振る舞っていることだ。気になった方もいるだろう。これは既存のテレビ局の放送ではあり得ないことだろう。小学校の頃、クラスにいたら「なんで授業中に立って授業受けているんだよ。」と変な奴と思われるかもしれない。私はTwitterでの発言を見ていて茂木の印象が変わったし、それ以降も著書を読んだりして彼のことをテレビだけしか見ていない人よりは知っていると思うので抵抗はなかったが、この番組を見て自身のメディアから受けているバイアスを考えるという良い機会になるかも知れない。

Share This To :
 
Toggle Footer
Top